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学習・進路行事

中学3年がヒロシマ修学旅行に行きました

 11月29日(水)〜12月2日(土)、中学3年は広島へ修学旅行に出かけました。
 本校では平和教育に力を入れていますが、特に中3では1年間を通して様々な平和学習のプログラムに集中的に取り組む学年となっており、この広島修学旅行はその集大成と位置づけられます。
 ここ10年余り、中学の修学旅行では沖縄を訪れて、戦跡や米軍基地をめぐる平和学習を中心に、亜熱帯の気候と海に育まれた豊かな自然と、琉球王国時代に築かれた独自の文化を学ぶ旅を続けてきました。ですが、それ以前は広島への修学旅行を10年以上続けており、今年度は実に14年ぶりに修学旅行で広島を訪れることに決めました。沖縄でも貴重な学びを積み重ねてきましたが、昨今の世界情勢を見るにつけ、核兵器と被爆地「ヒロシマ」への国際的な関心の高まりも受けて、これからの世界を担っていく生徒たちに広島を通して「平和」について考えを深めてもらうことにはきわめて重要な意義があると考えました。
 以前に広島を訪れていた際には、広島被爆者援護会の皆様に現地での学びをコーディネイトしていただいていたのですが、修学旅行の行き先が沖縄となっていた期間も、夏休みに有志の生徒を募って隔年で広島への研修旅行を受け入れていただいており、8月6日の広島平和記念式典に参列させていただくなど、同会の皆様とは親密な交流を続けてきました。今年度の修学旅行が広島になったことを、同会の皆様は心から喜んでくださり、快く現地でのガイド役などを引き受けてくださいました。同会でも会員の方々がご高齢になってきたこともあり、新規に修学旅行などのガイドを受け入れるのは難しくなっている中で、東京女学館は特別にお引き受けくださったとのことで、これまで築いてきた同会の皆様とのご縁とご厚意には感謝して余りあるものがあります。

1日目

広島平和記念資料館の見学

 1日目は、東京から広島に到着後、すぐに平和記念公園で原爆ドームを背景にクラスごとの集合写真を撮影した後、平和記念資料館を見学しました。
 近年、広島は世界的に注目が高まっており、たくさんの外国人の方々が訪れています。資料館も連日入館待ちの行列ができる状態で、大変な混雑が心配されましたが、この日は奇跡的に入館者が少なく、比較的ゆっくり展示を見ることができました。生徒たちは真剣な表情で展示を見つめ、熱心にメモをとる姿が見られました。
 12歳で亡くなった佐々木禎子さんが生前に病の回復を祈って折り続けた小さな折り鶴が、ひときわ目を引きました。

平和講演・平和セレモニー

 平和記念資料館を見学した後、隣接する広島国際会議場に移動して、被爆者の方から「平和講演」としてお話を伺う機会をいただきました。
 お話してくださったのは、広島被爆者援護会の頼重道夫様で、9歳(国民学校3年生)のときに爆心地から北へ約15kmの地点で被爆されました。原爆が投下されたときの様子や、被爆直後に市内で遺体の処理などにたずさわったお母様の手記などを紹介されながら、当時の様子を丁寧に語ってくださいました。平和の大切さ、尊さを訴える熱意を、生徒たちはしっかり受け止めていた様子でした。
 今回お話してくださった頼重様は、現在87歳です。被爆された方から当時のお話を直接伺うことができるのは、今の生徒たちの年代くらいがぎりぎり最後となるでしょう。その意味でも、たいへん貴重な機会をいただくことができました。
 平和講演の後、平和学習委員の司会で平和を願うセレモニーを執り行いました。平和への思いを込めて全生徒で制作した折り鶴レリーフを献納し、原画の制作者や委員が平和を願うメッセージを読み上げ、最後に「花は咲く」を全員で合唱しました。
 平和記念公園を後にして、宇品のホテルに到着すると、クリスマス仕様のロビーに迎えられました。充実した平和学習で密度の濃い一日を送り、生徒たちは平和への思いを新たにした様子でした。

2日目

被爆電車

 広島修学旅行2日目の11月30日(木)、3日目の12月1日(金)の朝、宇品のホテルからバスで広島平和記念公園に向かう途中、広島電鉄(広電)の路面電車651号とすれ違いました。
 この651号は「被爆電車」と呼ばれ、1945年8月6日に原子爆弾が広島に投下されたときに被爆した車両のうち、現役で営業運行している2両(もう1両は652号)のうちの1両です。現役の被爆電車の2両は、主に朝のラッシュ時にしか走行しておらず、地元の人でさえ気づくことがまれな貴重な車両となっています。(ほかに653号がイベント時のみ走行)
 この651号は、原爆投下の3年前、1942年に製造された、当時の最新車両でした。原爆が投下されたとき、651号は爆心地から約700m離れた広島市中区「中電前」あたりを走行中に被爆し、ドアや窓ガラス・集電装置などはすべて吹き飛ばされて半焼状態となったそうです。定員80人の車内には、朝のラッシュ時でたくさんの通勤・通学客が乗り合わせており、多くの方が犠牲になったと推測されます。
 広電は被爆のわずか3日後、生き残った社員の懸命の努力によって運行を再開し、大破した651号も翌年3月には修理を終えて復帰しました。瓦礫の山となった広島の街を力強く走るその姿に、多くの市民が励まされ、勇気づけられたと言います。以来、幾度もの修理・改修を重ねてきた被爆電車は、広島復興のシンボルとして走り続けています。
 2日目の朝に私たちのバスが651号とすれ違った場所は、偶然にも651号が被爆した「中電(中国電力)前」駅のすぐ近くでした。時刻も原爆投下の8:15からわずか30分後。2日連続での奇跡的な巡り合わせに、不思議な縁を感じました。

広島平和記念公園「碑めぐり」&市内フィールドワーク

 修学旅行2日目。この日は、広島平和記念公園を中心に、公園内とその周辺の慰霊碑や被爆した建物などを見学するフィールドワークを行いました。3クラスずつで午前・午後に分かれて、一方は広島被爆者援護会の方のご案内での碑めぐり、一方は生徒たちがグループごとに少し離れた場所まで散策するフィールドワークに出かけました。
 碑めぐりは、被爆者援護会の12名の方がガイドを引き受けてくださり、詳細な解説を交えながら公園内とその周辺をご案内してくださいました。援護会の方の中にはかなりご高齢の方もいらっしゃいましたが、一日中、生徒たちとたくさんの見学ポイントを歩いて回ってくださり、若い世代に記憶を継承したいという熱意がひしひしと伝わってきました。また、生徒たちもその思いに応えようと必死について回り、お話に真剣に耳を傾けていました。
 フィールドワークでは、被爆建物が残る本川小学校の平和資料館、被爆した人たちが安否を尋ねる伝言をチョークで書き記した壁が残る袋町小学校、被爆遺跡などのモニュメントがある広島赤十字・原爆病院メモリアルパークなど、生徒たちがグループ単位で思い思いの場所を決めた計画に沿って散策しました。
 風が冷たい寒空の下、日中のほとんどを屋外で過ごしましたが、生徒たちは懸命にたくさんのことを吸収しようと努力し、実りある学びを深めることができた一日でした。

3日目

広島城

 修学旅行3日目。この日の午前中は、3クラスずつに分かれて、広島城と縮景園(しゅっけいえん)を見学しました。
 広島城は、毛利輝元によって築かれ、福島氏・浅野氏のもとで城下町が整備されました。明治時代になると、城内に広島県庁ついで軍の施設、第五師団の司令部が置かれ、1894年に日清戦争が開戦すると大本営が移されるなど、広島は軍事拠点の都市「軍都」として発展しました。
 江戸時代に築かれた広島城の天守閣は、1945年8月6日の原子爆弾投下によって倒壊し、現在は戦後に外観復元された天守閣が建っています。大本営の建物も原爆で倒壊し、現在は礎石と基壇のみが残っています。また、城郭内の一角には、被爆建物でもある中国軍管区司令部防空作戦室も残っており、学徒動員されていた比治山高等女学校の女学生がここから軍事専用電話を使って広島の壊滅を通信したのが広島被災の第一報と言われています。
 広島城に残るそうした「戦跡」を地元のガイドの方に解説していただいくことで、生徒はさらに平和学習を深めることができました。

縮景園

 縮景園は、1620年に広島藩浅野氏初代藩主である浅野長晟(ながあきら)が作らせた別邸を起源とする大名庭園です。現在は非常に良く整備されており、江戸時代の地方大名の文化水準の高さを示す優雅な廻遊式庭園ですが、やはり原爆投下によって大きな被害を受けており、園内には被爆当時の写真つき説明板や、被爆した大銀杏なども残っており、被爆の爪痕を垣間見ることができる場所となっています。
 昼食は、広島市民に愛されている和食の「むさし」さんで、看板メニューのおむすびとうどんをいただきました。屋外の散策で冷え切った体がうどんで暖められ、とても美味しくいただきました。また、おむすびは、お米の炊き具合・握り加減・塩加減のバランスが絶妙で、シンプルなのに奥深い味わいで、普段は小食な生徒たちもお代わりを求める様子が見られました。

宮島・厳島神社

 昼食後、宮島口からフェリーで宮島に渡りました。厳島神社の大鳥居を背景にクラスごとに記念写真を撮った後、宮島のガイドさんの案内で神社を見学しました。この日は風が冷たかったものの、よく晴れており、2022年12月に修理工事が終わったばかりで鮮やかな朱色の大鳥居が、青空と海を背景にとてもよく映えていました。生徒たちは潮が満ちていて鳥居の近くまで行けなかったことを残念がっていましたが、厳島神社のお守りを手に入れて喜んでいる様子が見られました。
 その後、グループごとに宮島水族館「みやじマリン」を見学しました。大きなヒトデやナマコを手で持ち上げたり、スナメリやペンギンの愛くるしい姿を見たりして、生徒たちは大いに楽しんでいました。広島湾で養殖が盛んなカキいかだの海中の様子を見ることができたのも貴重でした。山と海が近接している自然環境によって、山の栄養分が海に流れ込み豊かな生態系が維持されている様子がとてもよく分かりました。
 水族館の見学後、桟橋方面に戻ってお買い物を楽しみました。人気ナンバーワンのお土産はもちろん、もみじ饅頭。宿で夕食をとった後、希望者を募って大鳥居のライトアップも見に行くことができました。この日も充実した一日となりました。

4日目

 修学旅行4日目。この日は修学旅行の最終日で、東京への移動が中心でした。
 宮島からフェリーとバスを乗り継いで広島駅へ移動し、駅で簡単な解散式を行いました。この修学旅行のリーダーを務めた平和学習委員長・副委員長の言葉、学年主任・教頭先生の挨拶に加えて、2日目の広島平和記念公園での碑めぐりでガイドをしてくださった広島被爆者援護会の皆様が見送りに駆けつけてくださいました。
 援護会理事長の石原智子様からは、生徒たちが真剣に平和学習に取り組んだことへのお褒めの言葉と同時に、これからの世界の平和を担っていくことへの強い期待を投げかけられました。生徒たちは援護会の方と濃密な時間を過ごす中で多大な感化を受け、人間的にもお互いに交流を深めた様子で、別れ際にハイタッチをする姿も見られました。
 3泊4日の修学旅行中に見たり、聞いたり、感じたりしたことを、生徒各自がどのように受け止めて、これからに活かしていくかが問われます。生徒たちが平和について自分の考えを持ち、主体的に行動できるようになることを願っています。

平和学習委員長・副委員長の感想

【委員長】
 広島平和学習は、女学館の友達とはもちろん、私にとって人生初めての修学旅行。初めてのことだらけで、すごく戸惑いました。委員としてまだまだ学ぶべきことが多いなと思いましたが、みんなで成長できたとても良い機会であり、ザ・コロナ世代の私たちにとってすごく貴重で、充実感のある3泊4日だったと考えています。そのような修学旅行に携わってくださった全ての方に感謝しています。(R.I.)

【副委員長】
 今回のヒロシマ修学旅行は、初めての学年での宿泊行事でした。はじめは点呼が遅れたり、連絡事項が伝わらなかったり、色々アクシデントもありましたが、最後はみんなが協力しあって、大きな怪我や病気にかかる人も出ず、楽しく終えられてよかったと思います。絆も深まったと思うのでこれからも色々な行事がありますが楽しみましょう! (J.O.)