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学習・進路行事

中学3年で弁論大会を開催しました

 1月24日(水)、中学3年は講堂で弁論大会を開催しました。本校の国語科では、中1から中3まで毎年、弁論大会を実施しています。
 今年の中3のテーマは、「命・人権」「平和」「日本と世界の諸問題」。総合学習や公民の学習内容もふまえたうえで、中3全員が自分の選んだテーマで原稿を作成しました。そして、各クラスの中でお互いの弁論を聞き、最も優れていると思う代表者1名を選びました。
 この日、講堂で行われた弁論大会では、中3の全生徒を聴衆として、各クラスの代表者6名が弁論を展開しました。いずれも多様な視点から問題を掘り下げ、明確な主張がある優れたものでした。

弁士を務めた生徒の感想

「私たちには価値がある」(R.T.)


 私たちは今、当たり前のように学校へ通い、将来を臨みながら様々なことを学んでいます。しかし世界には、教育を受けられず、幼い体で結婚・出産を強いられ、命の危険にさらされている同世代の少女が沢山いることを知りました。貧困、差別、そしてあらゆる人権侵害を世界から無くすために、今の私たち、将来の私たちに何が出来るのでしょうか。
 たとえ小さな一歩でも、自分を信じ、他人を敬い、共に考え行動していくことで未来は必ず変わります。この弁論大会を通じ、一人でも多くの人が自らの力と価値に気づき、世界のことを真剣に考える仲間が増えたら嬉しいです。発表は緊張したけれど、自分と向き合う貴重な機会にもなりました。ありがとうございました。

「命の重み」(R.K.)

 
 私たちは命を大切にできていますか? 命を当たり前のように捉えているからこそ、命の重みを見落としがちです。けれど1月1日に起こった能登半島地震のように、あっという間に失ってしまう命だってあります。だからこそ、一人ひとりの命を大切にしなければなりません。一人が抱えている命は他に存在しません。その命にはその人だけの未来を持っています。私たちは自分の命と同じように、人の命も大切にしなければなりません。人の命を大切にすると言うことは、その人の未来も一緒に大切にするということだと思うからです。この話を聞いて、命について改めて考えることができていたら嬉しいです。
 このような話を大勢の前で話すことができ、とても良い経験になりました。

「平和とは何か」(M.A.)


 平和とは何かと自問したとき、まとまった答えを出すことが出来なかったため、平和について自分なりに考えてみた。考えるうえで「平和」の対義語とは何か調べてみると、「戦争」であることが分かった。しかし「平和」の対義語は「戦争」なのか、私は違和感を抱いた。
 その理由として考えた二つのうち、一つは「平和」と「戦争」の言葉の抽象度の違いによるものだと思う。具体的な言葉である「戦争」と抽象的な言葉である「平和」を対比しているため、違和感が生まれたのだと思った。
 もう一つの理由は、戦争以外にも平和とは言えない状況があると思ったからだ。平和と戦争を対比してしまうと、平和の中に「平和とはいえない状態」の人が多く含まれてしまうため、対比するべきでない、そして平和の基準とはもっと細かいものであるべきだと感じた。
 私は平和学習をする上で、平和とは何かという根本的な問題を自分なりに考え答えを出すというのは欠かせないことだと思った。そして平和とは、抽象的である分、人々に大切さが伝わりにくい。そのため伝える側だけでなく、伝えられる側も平和について真剣に向き合うべきだと思った。また平和の解釈は様々あると思うが、私は解釈の統一よりも、考えるという行為自体に意味があると思う。そのため平和を学ぶ全ての人が、平和についての理解を深めることが大切だ。
 私は作文と弁論との違いを意識して、文章を作成し発表した。作文とは読み手に伝わることが大切だが、弁論とはそれだけでなく、理解のしやすさ、聞き取りやすさも重要である。また聴衆に熱意を伝えるために、話し方も工夫する必要があると考えた。そのため伝え方を練習し、文は暗記するなどして準備をした。
 登壇したことで、よりこれらの大切さを実感することができた。クラス代表決定から発表まで5日間という短い期間だったが、自分なりに工夫をして準備をし、本番では聴衆の顔を見ながら話すことができたと思う。また他の弁士の発表を聞いて、表情や話し方、文の構成などから学びを得ることができた。そして自分の意見を自分の言葉で大衆に伝えることはとても緊張したが、伝えることの楽しさ、嬉しさを知ることが出来た。この弁論を通して貴重な経験ができ、自分が成長できたと思う。この経験を今後の糧にしていきたい。

「SNS上での偽情報による諸問題」(N.S.)


 1月1日に発生した能登半島地震では、SNSを通して被害状況が多くの人に届けられました。しかしその情報には誤情報も多く含まれており、その影響力が問題視されています。位置情報を添えるなどして緊迫感を持たせた偽の投稿は、見た人や警察・消防を混乱させ、被災地をよりパニックに陥れました。またXによる閲覧制限の影響で、情報を入手することも困難になりました。今回のような緊急時に誤った情報に踊らされないためには、さらなる厳罰化や、偽情報の危険性を幅広い世代に伝えることが求められています。また個人では精度を重視した情報収集を心がけることや、強固なネットリテラシーを身につけることが大切です。
 今まで講堂の壇上で話した経験がなく緊張しましたが、クラスのみんなに選んでもらった自信を持って落ち着いて話すことができました。またこちらを見て真剣に話を聞いてくれる人がいたことも安心材料になりました。他のクラスの代表の演説を聞いて、人の興味関心を惹きつける話し方や文章の書き方を学べたので、もっと説得力のある演説をできるよう精進していきたいと思います。また、みんなにはこれを機にSNSとの関わり方を再度考えて欲しいと思います。

「平和な国の無差別殺人」(M.Y.)


 弁論大会の弁士として、私は平和に焦点を当て、具体的なデータや事例を挙げながら「日本は無差別殺人が多いから平和ではない」という立場を強調しました。洞察や統計的な根拠を通じて、みんなに深い考察を提供しました。弁論大会には、社会的な問題への理解を促進することを目標とし、熱意をもって臨みました。
 弁士たちの弁論を横で聞いていて、異なる視点を受け入れる柔軟性も重要であると感じました。弁論は単なる問題提起だけでなく、解決策や前向きな提案も必要であることを理解しました。議論を通じて、日本の平和に向けた取り組みや個々の責任も強調することで、より充実した弁論が可能であったと振り返ります。

「親の愛」(N.M.)


 「大好き」。その心を親から感じられることがどれほど尊く、大切であるのかを皆さんは知っていますか? 近年、虐待件数や子供の自殺者数が増加傾向にあることをうけて、親からの愛が子供にどのような影響を与えているかについて考えました。子供とは大人が思っているよりも理解力がある反面、一瞬にして消えてしまうほど儚い存在であると思います。「親とは親であるからこそ、対等な立場で子供と向き合い、守り、愛してください。」という一人の子供としての願いから意見文を作成しました。
 弁論大会では、多くの人に自分の意見を伝えるという貴重な体験をしました。もちろん緊張はしましたが、自分の意見を発表することから、今までにない達成感を得ることができました。今回の経験を通して、日常生活の中でも自分の意見を持ち、他者と共有して価値観を広げていきたいと思いました。